私ができるまで。

幼少時代の記憶とか。吐き出す場所。

他界

ITの知識があるから、知人からホームページを作りたいと相談された。

簡単なページだったら作ってあげるよと言って請け負った。

 

もう5年以上経つだろうか。

 

毎年ドメインとサーバーの更新時に連絡を取り合うだけの仲。

たまに近況報告をしたり、メールでやりとりしていた。

 

今年も更新の時期がきたのでLINEで連絡するも既読がつかない。

忙しいのかな?と数日放置していたが既読されない。

更新日になったので、いつものように立て替えして更新手続きをした。

 

あれから数日。

初めて自宅に電話をした。

 

「はい、○○です」

「○○さんいますか?」

「他界しました」

 

私は、何となく察していた。

 

何日も放置するような人物ではないし、

もしかして?コロナ?とも思っていたが、

電話の向こうの親族の話し方。

 

亡くなった経緯も聞くことはできず、

自分は友人だという事と、お悔やみの言葉だけ伝えた。

 

友人との最後のやりとりは副業について相談された事だった。

もしかして、事業に悩んでいたのかな?

もう少し深く話を聞いてあげたら良かったかな?

 

自死とは限らない。

病気だったのかもしれない。

 

遠方なので行くことができない。

心の中で安らかにとお祈りするしかないのだろうか。

あなたのこと忘れないよ。

 

もし自分が若くして死んだら、

命日と死因は伝えて欲しいと思った。

自死だとしてもね。

家族が自殺したら、隠したくないとも思った。

 

だって、人はいつか死ぬんだし。

心の病気と、ガンは同じじゃない?

 

まだ若いのに早すぎるよ。

やっぱり寂しい。

 

安らかに。

 

お金を探す父

幼稚園年長くらいの記憶だと思う。


昼だったか、夕方だったか定かではないが、
私は家で1人だった。

そこへ慌ただしく父が帰ってきた。

父は私に笑顔で話しかけてきた。

『○○ちゃん、お母さんの通帳どこにあるか知らない?』


私は父が母に内緒で、
お金を盗もうとしてるんだと察した。

知らないと答えた。

父をみて何か哀れな気持ち?になった記憶がある。


父はギャンブルにのめり込んでいたようだ。
借金をして狂ってしまった。

余談〜危機一髪〜

これは記憶ではありません。

私がハイハイで捕まり立ちをする頃のエピソード。


母はママさんバレーボールをしていました。

近所の体育館に集まり体を動かしていたようです。

私も連れて行き目の届く所で、
子供達と遊んでいました。

ふと気付くと姿が見えない!

えらいこっちゃーと探すと…
階段を登っている私を発見。

そして2階の階段の隙間から下を覗く私。

『あっママだ〜ママ達がいる〜』

そんな感じだったのでしょう。

子供は頭が重たいのです。

そうです。真っ逆さまに落下したのです。


皆んな考える余裕などなかったでしょう。

母は私をキャッチしたものの、
勢いで地面へ落下…ゴンッ

脳天直撃です。

すぐ病院へ行きました。
レントゲンで骨に異常なし!

脳しんとうを起こしていた為、
一晩中、嘔吐したらしいです。

私の石頭ナイス。
母の運動神経ナイス。

若い頃から頭痛持ちだったので
MRI検査をしたことがあります。

特に異常無しで母は安心していました。

母が見つけていなければ、
この世にいなかったもしれません。

お転婆娘

保育園時代


保育園で散歩に出かけることがあって、
近くの公園で遊ぶのが恒例だった。

私は友達に自慢するために、
鉄棒に座り、両手を離した。

記憶にあるのは、自慢下な自分の感情だ。

ほら〜みてみて
こんなことできる?
(両手をバンザイする)

そして、バランスを崩し落下した。

下唇を噛んだようで血だらけに。
病院でお腹の上に看護師が乗り抑えつけられていた。
痛くはなかった。重かった記憶が残っている。

母は白衣のままで駆けつけていた。

下唇が貫通していたらしい。
縫われたようだ。


記憶は、自慢と重かったことだけ。

社宅から新築マンションへ

幼稚園時代

社宅から立派なマンションに引っ越しした。

大型分譲マンションだ。

部屋も広くて綺麗だった。

お客様用の応接室があって、
自分が金持ちの娘になったような贅沢な気分だった。

相変わらず、父は家にいたのか?
記憶にない。あまりいなかったのだとおもう。


この頃の母は仕事が多忙だった。
日勤と夜勤で疲れていた。

マンション購入のプレッシャーからか、
夫婦関係の悪化もあっただろう。


母と父はよく喧嘩していた。
私は20時に寝かせられていた。
たまに目が覚めていたが、寝たフリをしていた。
だから喧嘩していた事を知っていたのだ。

お父さん

父の記憶はあまりない。

母は看護師で忙しく働いていた。

父は普通のサラリーマンだった。


保育園〜幼稚園年少組時代、
父の会社の社宅で暮らしていた。

この頃は3人暮らしで、
祖父や祖母が育児のお手伝いに田舎からきていた。


父は家にいたのだろうか?

母の仕事が自慢?

保育園〜幼稚園年少組くらいの記憶。


社宅時代だったはず。


若いカップルが公園でテニスをしていた。

私は一人っ子で周りに大人が多かったからか、
お兄ちゃんお姉ちゃんが好きだった。


テニスをしていたカップルが怪我をした様子。
慌てているのを見た私は近寄り声をかけたのだ。


『私のお母さん看護婦だから手当てしてもらおう』


家で寛いでいた母。

怪我人を連れてきた娘。

彼女さんが指を挟んだのか爪から血が出ていて、
見た目は痛々しかった。

母は救急箱を持ってきて、
消毒し包帯して応急処置をした。
消毒と言ってもマキロンじゃなくて
病院から持って帰ってきたような本気のやつ。

化膿したら大変だから病院行くように言っていた。

たくさんお礼を言われて嬉しかった。
いい事をしたと思えた。

母はビックリ呆れ顔。


私の行動力に笑えるし、
自慢の看護婦のお母さんだったからか。
単純な正義感からだったのか。